市内幼稚園の卒園式の日。お休みの次女と車で出掛けていると、嬉しそうに記念写真を撮りながら式場に向かう父母と園児らしき3人組を2度見かけた。
6年前を思い出す。私の2人の娘は児相養護施設に入所していた。元夫は単身赴任だった。迎えた長女の卒園式。ずっと待ち望んでいた同居再開の日が目の前に近づいた嬉しさと、1年半待っていてくれた娘達への感謝の気持ち。それが思い出されて、しばらくその親子を見入ってしまった。
ちょうどその頃アドラー心理学の講座パセージを初めて受けた。県中部の会場に1時間かけて通う。いよいよ迎えた3月28日。第2章を受けてから皆さんでランチを食べ、「桜とハナを迎えに行くので!」と笑顔の皆さんに見送られながら先に出た。
30分で2人の待つ児童養護施設に着く。前の晩せっせと作った娘達の顔写真つきお菓子の詰め合わせを同じホームのお姉さん達の人数分を託し、「さ、おうちに帰ろ!」と3人で施設を後にした。
道中2人は新居がどんな家だろうねと大騒ぎ。いよいよ家に着くと、手伝いに来てくれていた私の母と憧れの階段のある家を探検する。翌日、2年間の単身赴任を終えて当時の夫が帰国。家族4人が揃って暮らす生活を再開した。
いくら家族とはいえ、2年離ればなれだった4人が一緒に暮らすというのはとても難しい。「借り物の家族」そんな感じ。
そんな中、アドラー心理学の講座パセージだけは何があろうと出席し、技術を身に付けようと必死な思いでワークに参加し続けていた。恐らく一番よくしゃべっていたのは私。長女には私が留守をする分、何を勉強してきたか帰ったら教えてねと言われている。帰宅後一緒にロールプレイをするのが娘のお気に入りだった。
講座を全て受け終わるにあたり、リーダーをされていた方から会の月刊だよりに感想を寄稿してもらえないかと声をかけられた。私の受けた講座では半数は児童・母子の福祉支援職の方達で、幾度となくその仕事の難しさを吐露されていた。そしてその中でもサブリーダーさんは我が家のセーフティーネットとなって下さったHさん。申し込んだ講座にたまたまサブリーダーとしておられたのだけれど、感謝を伝えたかった。
支援職の皆さんに、私だからこそ書ける事、送れるエールがあると思っていたので寄稿を快諾する。
以下、その感想文(個人名は仮名)
パセージ最終章も大詰めになり、目を閉じた私達にリーダーさんが3回、ゆっくり声をかけました。
「私はあなたの味方です。」
その声は心地よく、身体中にぽかぽか温かい何かが充たされていく気持ちがします。全8回のパセージを通じて、リーダーさんのことが大好きになっていたからこそでしょうか。
前の1週間、家での私は絶不調。 疲れ果て、 娘達の前でずっと暗い顔、きつい言い方でした。6歳と4歳の娘達も穏やかではいられません。喧嘩が絶えず泣き叫んで荒れ放題でした。
その晩、寝る場になっても泣きわめいている上の娘を前に、私は眉間にシワを寄せるばかり。
私にできることは?・・・・
パセージテキストの「口先だけでも言わないよりまし」を何度も念じて、いざ!ぎゅっと抱っこして声に出します。
「お母さんは桜ちゃんの味方です。」
娘は泣き止み、3回言い終える頃にはもう、眠っていました。とても優しい表情で。
2年前、娘への暴力と暴言を自制できなくなり、助けを求めた私に、担当の方Yさんが言った言葉が衝撃的でした。
「お母さんの信頼できるところは、自身のやっている事がまずい事だと分かっているところです。 ただ、それをとめる方法を知らないからお母さんは困っている。その方法を、一緒に考えていきましょう。」
当時私は先ず思います(この人何を言ってるんだろう? 娘に酷いことをしている私が信頼できるって?)そしてその後(こんな私のことが信頼できると言うなら、その信頼に応えてみせよう。方法があると言うなら、どんな方法でも試そう。)
そう、歯を食いしばって感情コントロール方法の精練に努力して来ました。
1年半の娘達との別居にも耐えました。
パセージを終えた今、2年前のYさん言葉の意味をやっと理解できます。そして勇気いづけられた時、人がどれだけのことをやってのけられるか、私は知っているぞ!と。
特に1回目の「どんな場合に子どもは不適切な行動をするのか」を読んだ時や課題の分離を知った時は・・これこれ!と笑ってしまいました。「過保護と放任」では「そうそう! 愛は一杯あるのよ、技術は足りないけど。」とうなずくばかり。
全体として、パセージは私にとって、受け入れやすいものでした。 介護職として通所リハビリテーションで働いていましたが、現場はパセージの考え方とよく似ていると思います。
片麻痺等、脳梗塞の後遺症だけでも不自由している点は、人それぞれ。そんな中、職員が注目するのは、その方が今、何がどれくらいできるか。そしてそれどう活かして、その方の望む生活に近づけるか。または維持、向上を図るかです。
何がどれくらいできないかという見方はしません。過去の情報は目を通すだけです。ですので、私は仕事でやっていた事を家庭で家族に対してすれば良いんです。
なのになぜこんなに四苦八苦するのか。良いとこ探しはすぐ横道にそれてしまいます。
今朝、上の娘は元気に登校していきました。 「お母さん! こうだよね! 『お母さんは桜ちゃんの味方です!』」
何を投げかけても肯定的な見方に包まれた居心地の良いパセージが終わってしまって残念です。一緒に学んだ皆さん1人1人に出会えたことに心から感謝しています。
我が家の今があるのは皆さんのおかげです。ありがとうございました。
この感想文は仮名で載せてもらった。誰が書いたか、一緒に講座を受けた皆さんがわかればそれでいいと。
後日例会に参加すると、一緒に受けた支援職の方が「何度も読んじゃった。」と温かい笑顔で言ってくれた。エールは届いたらしい。
昨日娘2人を児童養護施設に託して約半月後の日記を読んだ。
以下内容抜粋。
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この決断があなた達を恐怖から守ると知ってる。
どうか1日も早く園の生活に慣れ親しんで、心の依り処を見つけて欲しい。
あなた達を託した事で、母はあなた達の本当の姿を見られるようになりました。
あなた達は本当にかわいい、かしこく、優しい子。
でも母が余裕をなくし、
疲れきったドロドロの心と目では
桜とハナが母を痛めつける怪獣に見えるんです。
今あなた達とあなた達のやること全てがかわいい。
園は桜とハナを守ってくれます。
まいとゆりが母と同じように寂しさに耐えていると母は知ってる。
会える日を楽しみにしてくれてる事も知ってる。
大好きだよ。会いたいな。
担当のHさんは文字通り全力で支えてくれました。
ホーム長のYさんは信頼できる人だと思う。あの人で良かったと思う。
我が子と過ごす時間を楽しみにできる。
1ヶ月前なら考えられなかった今がある。
大丈夫、うまくいく。
大丈夫。
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自分のせいで私と一緒に暮らせなくなったと思っていた桜に、私は一緒に暮らせないのは私が”病気”のせいだと話していた。
頑張って”病気”を治すからね、治ったらまた一緒に暮らせるからねと。
桜とハナが私にくれた時間を無駄にするわけにはいかない。うつに加え発達障害と診断された私は、大学で認知行動療法を1年受け卒業した。卒業はしたものの再発防止と親子関係を学ぶため選んだのがこの講座パセージだった。他の児童相談所職員さんとは明らかに違う担当Hさんが会話の中で1度だけアドラー心理学を勉強してると言ったのを聞き逃さず、帰ってからパソコンで調べた。それがアドラー心理学との出会い。
今、目指した家族関係が目の前にある。同居再開2年で離婚、4年が経つ。私も娘達も自己決定ができる環境を勝ち取ってきた。諦めず信じて進み続けたら、必ず道は開ける。私達母娘を支え応援してきてくださった方々に今の私たちをお見せしたい。
皆さん、私達笑ってたくましく生きています。